【day11】私もシャドーハウスの生き人形かもしれない

(※この記事は、シャドーハウス10巻までのネタバレを含みます。)

 

最近集めているマンガの一つに、シャドーハウスがあります。

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ざっくりあらすじを話すと、

貴族のごとく優雅で贅沢な暮らしをしている『シャドー』と呼ばれる真っ黒な人型の生命体と、姿形をシャドーそっくりに作られた『生き人形』と呼ばれる人形が、二人一組になって貴族屋敷『シャドーハウス』で生活をする話、です。

生き人形たちはみな「生き人形はシャドー家のために存在している」「すべてはシャドー家のために」と、自分たちの身も顧みずにそれはそれは勤勉に働くのですが、ストーリーが進むにつれ、実は生き人形は近くの村から連れてこられた『人間』でシャドー家のために献身的に働くよう洗脳されていることが判明します。

主人公の生き人形『エミリコ』と、そのシャドー『ケイト』はその真実に気が付き、何とかして生き人形として働かされている人間を助けようと仲間を集めて策を練って……と、まあ、そういう話なのですが、読みながらうっすら私が怖くなったのは、これがフィクションでただのエンタメだと笑い飛ばすことができないと思ったからです。

 

貴族屋敷『シャドーハウス』には、生き人形たちが自分たちが人間であることに気づかないよう、ありとあらゆる洗脳方法が満ち溢れています。

『生き人形』の約束事として度々登場する「余計なことは考えない」という言葉や歌、物事を考える余裕をなくすための長時間に及ぶ「仕事」、そして疲労を忘れさせるための「珈琲」。

これを、

「(なぜ人手がこんなに足りないのだろうという)余計なことは考えない」という同僚との合言葉、残業ありきの「仕事量」、疲労を忘れるための「モンスターエナジー」にそれぞれ置き換え、「すべてはシャドー家のために」という言葉を「すべてはお客様のために」に変換したら、私たちの周りにも『シャドーハウス』は実在していると思えてくるわけです。

ぞっとします。

 

――さて、どうして私が突如こんなことを考えるようになったかというと、単純に自分が最近仕事で疲れ切っていたからということもありますし、今年度から退職手続きの業務を担当するようになり、毎月一人のペースで優秀な人が辞めていく現実を目の当たりにしているからということもすくなからず影響していると思います。

私個人としては、今の組織はまだ世の中の『シャドーハウス』と比べればそれほど過酷ではないですし、ボーナスももらえますし、手放すのは惜しい気持ちのほうがずっと勝っているので、転職しようなどとは一切考えていないのですが、やはり働く環境は良いものであってほしいですし、毎月見切りをつけて去っていく優秀な人たちがいるというのはどこか寂しく感じるのです。

まあ、こんなことをいっても私は社長でもなんでもない末端の『生き人形』なのでどうにもならないのですが。

せいぜい私ができることといえば、明日も『シャドーハウス』のなかでうまく泳いで、このお気楽ハッピーな生活を続ける『生き人形』でいることです。